■レーシック情報:レーシックでの視力回復についてブログ:07-9-14
中学・高校時代、
わしはお母さんが作った弁当を持って学校へ通いました。
アルミの大きな弁当箱の中には、
赤いウインナー、塩辛い卵焼き、ピーマンの炒め物、
ライスはギュウギュウ詰め…
それがわしの弁当の定番でした。
12時休み、弁当の蓋を開けると、
ライスの表面には、
のりで眉や目や鼻を、桜でんぶでくちや頬を描いて、
お母さんは、その日の自分の気持ちを表していました。
時には怒った顔、時には悲しい顔、
まれに、にっこりとした笑顔もありました。
前の日にお母さんと喧嘩をしたときは、
決まって怒った顔でした。
最近は、お弁当に工夫を凝らして、
ブログなどで発表される方も多いようですが、
もう三十年以上前の話ですから、
お母さんの弁当は元祖デコ弁かもしれませんね。
とりわけ中学生のころは、
ほとんどお母さんとはくちを聞かず、聞いたとしても、
わしが怒鳴ったり、文句を言ったりするばかり…
思春期や反抗期、いろいろな理由があったのですが、
「なんで産んだんだ!ばかやろう!」
そんなことを口走った次の日は、決まって悲しい顔が書いてありました。
「いってきます」「ただいま」も言わないで、
無言で弁当を持って学校へ行くお子様に、何かを伝えようと、
弁当に託していたのでしょう。
お母さんがわしに気持ちを伝えようとした元祖デコ弁の顔を、
ときどき思い出します。
どんな時でも、
わしとのコミュニケーションを諦めたり、
わしを見捨てたりしなかったお母さんには頭が下がります。
一昨日、久しぶりに実家に帰った時、
お母さんに「何が食べたい?」と聞かれて
「弁当に入っていた卵焼き」と言ったら、
「せっかく来たのに、そんなものでいいの?」と言っていましたが、
わしにとっては、お母さんを思い出すおふくろの味。
一番のご馳走なのです。